10 Truths about
NIKE AIR FORCE 1

NIKE AIR FORCE 1にまつわる
10の真実

FIGUREでも高いセールスを記録するシンプルなNIKEのAIR FORCE1は、カルチャーとファッション両軸を持った稀有なスニーカーとして、2022年に40周年を迎えました。今こそ、このシューズがどんな成長を遂げてきたか、振り返る良い機会かもしれません。有名な話もそうでない話も。知っておくべき10の真実について、まとめてみました。Text by Masayuki Ozawa

1
NIKE初のエア搭載
バスケットボールシューズ

 1970年代半ば、元NASAの研究員だった技術者、マリオン・フランク・ルディがランニングシューズにエアを使うクッショニングシステムを提案するためにNIKEを訪れた。これが「ナイキ エア」誕生の始まり。最初に見たサンプルは、ただ硬い風船のようなエアがソールとして貼り付けられたものだったが、ミッドソールにエアを埋め込むことむことで耐久性と弾力性の問題を解決した。そうして誕生したエア初搭載モデルが「テイルウインド」。1978年のホノルルマラソンでお披露目となった。
 AIR FORCE1は、ランニングで実用化されたエアソールを初めてバスケットボールシューズに応用したモデルだった。誕生は1982年。バスケットボール選手の特徴的な縦の動き、横の動き、ジャンプにかかる衝撃を研究したNIKEは、エアを内蔵する設計もランニングシューズとは大きく変更。例えばミッドソールの内部をハニカム状にしてエアユニットをはめ込むことで、安定性と軽量性を実現している。
画像提供:NIKE

2
プレイヤーから
怪我を守るために生まれた

 1970年代、NIKEはミッドカットの「ブレーザー」やローカットの「ブルーイン」などを展開していたが、その認知はまだ高いものではなく、NBAの主役は<アディダス>だった。ちょうどアッパーに丈夫な革を使うようなり、バッシュも進化を遂げていたものの、全体的には足首のサポート力と衝撃吸収性が大きな課題だった。この頃は、ゴール下で激しいダンクやブロックを決める番人的な大型のセンタープレーヤーがゲームの主役だったが、彼らは皆、足の怪我に悩まされていたという。ガチガチのテーピングと、ソックスを何枚も重ね履きして対策したものの、それが快適なプレイには繋がらなかった。
 そうした背景からAIR FORCE1は、力学を研究し、当時ではありそうでなかったストラップを配備したハイカットで制作。初期モデルはサイドにメッシュのパネルを組み合わせて、摩擦熱による足内の蒸れからのマメを予防する、画期的なシューズが完成した。ちなみにローカットは、その翌年からラインナップに加わっている。

3
NBAのスターがこぞって着用し
人気モデルに

 AIR FORCE1のリリースは当時にしては華々しいものだった。リーグを代表する、NIKEの契約プレイヤー6名は「オリジナル・シックス」と称されて広告塔に起用。真っ白なジャンプスーツを着たヴィジュアルが話題になった。
 1955年生まれの長身プレーヤー、モーゼス・マローンがその主役だった。ABA(アメリカン・バスケットボール・アソシエーション)でキャリアをスタートしたマローンは、1976年にNBAにジャンプした先駆者的な存在だった。弱小チームだったヒューストン・ロケッツに入団すると、瞬く間にチームを強豪の仲間入りに導き、全米中のスターとなる。実際マローンは、足首を負傷した1984年を除いて、1978年から11年連続でオールスターに選出されている。1981-82年のシーズンは、NBAのファイナルまで進出するも、翌シーズンはフィラデルフィア・76ersに移籍。この時、マローンはともに「オリジナル・シックス」に選ばれたボビー・ジョーンズとともにNBAを制したのだった。マローンはレギュラーシーズン、ファイナルともにMVPを飾る活躍で、その足元にはチームカラーでもある白×赤のAIR FORCE1を着用していた。

4
ストリートへの戦略は
ボルチモアから

 AIR FORCE1は鮮烈なデビューを披露したものの、新しいデザインやテクノロジーに積極的だったNIKEはすぐに後継機種であるAIR FORCE 2の開発に着手。それに伴い、1986年には流通をストップした。1987年の早々にデビューしたAIR FORCE2は、柔らかなレザーを用いたり、耐久性に優れるTPUパーツを使うなど、機能面で一定の進化を果たし、マローンをはじめとする多くのNBAプレーヤーが着用したが、初代を失うことにショックを受けたのはストリートだった。
 ボルチモアにあるシューズショップ、「チャーリー・ルドー・スポーツ」のハロルド・ ルドーは、近隣の「シンデレラ・シューズ」のポール・ブリンケンとともにNIKEに販売の再開を交渉する。1色につき1200足を売り切ることを条件に、いくつかのAIR FORCE1が特別に復活した。ボルチモアでは3つのショップで取り扱われ、州を超えて話題になった。東北に伸びる大きなハイウェイ「ルート95号」によって繋がる都市、フィラデルフィア、ニューヨークからもファンが復活のニュースを聞きつけるなどして、無事に完売。その動きに驚いたNIKEは、ニューヨークを中心に改めて、プレイヤーのためではないAIR FORCE1のリリースを本格的にスタート。これが90年代ストリートの口火を切ったともいえる。

5
豊富なバリエが
ヒップホップと結びつく

 90年代に入り、数々のテクニカルなバスケットシューズがNIKEに限ることなく各社からリリースされていたが、AIR FORCE 1は全米中(一部は日本でも)で見ることのできるモデルになっていった。機能性こそその他の最新作に及ばないものの、活躍の場をストリートに移したことで、展開のアプローチが変わっていった。それはかつてのCONVERSEのオールスターと近い動きでもあった。
 まずファッションを意識した色や素材の登場。1992年にはキャンバスが廉価版的なプライスで発売され、日本でのヒットのきっかけとなった。それまでの本革に比べて定価が安くなったキャンバスは、並行輸入で仕入れても、買いやすい価格(¥15,000程度)でお店に並んだからである。そして1993年にはブーツのようなヌバック素材が登場し、94年にはミッドカットがデビュー。アウトドアが世界的なトレンドだった90年代前半の大きな流れに沿うように、AIR FORCE1はコート外、とりわけヒップホップスタイルにフィットするオプションを増やしていった。真っ白は常に新品を履き続ける成功者の象徴として、茶系のそれはNY東海岸の未舗装路に適したブーツ代わりとして、色鮮やかなそれはブラックカルチャー特有のカラーパレットの一つとして、存在感を高めていった。

6
日本での
正規展開がはじまる

 2000年代に入ると裏原宿のムーブメントの拡大解釈として、そこにヒップホップのカルチャーが融合し始め、広義的な日本独自のストリートスタイルが確立し始めた。グラフィックTシャツにフーディにルーズな加工ジーンズなどの足元に、AIR FORCE1がある種同郷のDUNKとともにスタンダードとして定着していった。それにはJAY-Zが自身のレコードレーベル「Roc-A-Fella」とコラボレーションしたモデル、Nellyが「WEST INDIES」など、人気アーティストが自慢のAIR FORCE 1を履いた姿がPVなどで散見されるようになった影響が大きい。
 そして日本では、トリプルホワイトを定価9000円で買える時代が到来した。念願ともいえるインライン&低価格化は、並行輸入のバイヤーの食い扶持を一つ潰したのは確かだが、ファンの裾野を広げることに成功。日本全国、ストリートから学生までAIR FORCE1との距離が一気に縮まっていった。また21世紀は、CO.JP(コンセプトジャパン)企画のもとに、日本は世界でも類を見ない独自的な動きでAIR FORCE1を盛り上げてきた。この頃は、ブランドやそのモデルの価値向上を小売店が担っていた時代。メーカーよりも一足早くストリートに根付いていたショップたちによる別注が、話題を集めていた。中でも上野のミタスニーカーズは過去の事柄に目を向けることで新しい知識を得る「温故知新」のコンセプトのもと、爬虫類の皮革を表現した別注モデルをシリーズ化。さらに不忍池公園の桜をモチーフに、レーザーエッジングで柄を描くなど、最先端の発想と技術で新しいプロダクトを開発していった。

7
25周年を祝う
ビッグプロジェクト

 2007年、こうして勢いよく25周年を迎えたAIR FORCE 1は、原宿で1年間限定のポップショップ「1LOVE」でスペシャルなプロジェクトが企画された。店内を象徴する大きなガラスのシリンダーには、新作が発売される度にディスプレイを増やし、吹き抜けから覗ける上階には、予約制のカスタムラウンジが併設されるなど、モデルの付加価値を高める施策が1年間を通して実施された。
 海を超えた本国アメリカでは、さらに壮大なプロジェクトで周年のアニバーサリー感を植え付けたのだった。NIKEは2007年に入ってすぐ、新しいマーケティングキャンペーン「The Second Coming」をローンチ。その第一弾として、当時人気のピークにあったJust BlazeとJuelz Santanaに特別なトラックを製作させた様子の短編ムービーをMTVで大々的に公開した。さらに番組「1 Night Only」をMTVで製作。Kanye WestやNas、KRS-One、Rakimというヒップホップ界で知らぬ人はいない超豪華メンバーによる一夜限りのライブパフォーマンス公開した。彼らによる特別なソング『Better Than I’ve Ever Been』はレコード化され、iTunesでも配信された。
画像提供:Alternate Sneakers

8
ミッドカットと
A$AP ROCKY

 AIR FORCE1のクレイジーなラバーだったラッパーのNellyは、2002年に発表した2ndアルバムの中に『AIR FORCE ONES』を収録し、モデルへの愛情と敬意を歌詞とパフォーマンスに表現した。それから約10年、再びこのモデルを新しい世代にクールなものとして認識させたのは、A$AP Mobのクルーだった。2006年に結成されたこのヒップホップ集団は、徐々にメンバーが増え、音楽性だけでなくファッションの影響力を強め、モードの世界にも進出していった。中でもA$AP ROCKYは、日の目に当たっていなかったミッドカットを積極的に(意図的に?)履くなどして、SNSを始めとするメディアに登場した。
 AIR FORCE 1の本当のオリジンはハイカットで、ローカットは翌年に登場している。前述した通り、ミッドはその中間ではなく、アウトドアブーツの流れを汲んでデザインされたのが正解だ。スキニーパンツにブーツのスタイルが定着していた当時のA$AP ROCKYに、このミッドはあまりに簡単に調和していた。共感を覚えたフォロワーたちは、違和感なく自分たちのスタイルに取り込むことで、空前のヒットと化したのだった。

9
女性のための
新しいデザイン

 それまでメンズの聖域ともいえたスニーカーのムーブメントが世界的に広がったことで、アスリートのためのシューズから発展したカルチャーに変化が訪れようとしていた。既にAIR FORCE1はほとんどの人にとってコートでの目的は終え、スタイルやトレンドが変化する中で、あらゆる背景を持つ人のための定番だった。この象徴的なキャンバスともいえる存在について、2018年にNIKE社内のデザイナーが「The 1 Reimagined」の名の下に見直しを図り、プロジェクトを支える14名の女性デザイナーが新しい5つのAIR FORCE1をデザイン。多様性を定番に融合することで起きる、クリエイティブな化学反応をかたちにしたのである。
 「explorer(探検家)」、「sage(賢者)」、「lover(恋人)」、「rebel(反逆者)」、「jester(道化師)」という5つのペルソナを設け、アーキタイプを設定。オリジンに敬意を払いながらも大胆な仕様変更が行われ、過去にない女性のためのAIR FORCE1が誕生した。これらはデザインの幅を新定義するものでもあり、この先続くコラボレーションのヒントになっている。
画像提供:NIKE

10
多様性時代に認められた
トリプルブラック

 2022年に40周年を迎えたAIR FORCE1は、今まさに人気のピークを迎えようとしている。そして盛り上がりを支えているのは、真っ白なAIR FORCE1だけではない。とくにこの5年は、アッパー、ミッドソール、アウトソールの3つのパーツが真っ黒な「トリプルブラック」の人気が急増している。その普遍性ゆえに見過ごされていた重厚なこのカラーは、特別なスタンダードになった。それはSupremeが定番的に作り続けるAIR FORCEのカラーリングであることも証明している。トリプルブラックの人気は、部位によってフィットを調節できるニット素材の開発や、縫製糸を使わずにレイヤーを表現する圧着技術の発展に伴い、単一なルックスがトレンドとなった2010年代以降のこと。そのモデルの主役は新しいランニングシューズだが、多くのミニマリストを生んだ新しいムーブメントに、クラシックなAIR FORCE1も便乗したのである。この波に乗ったのは、ハイプを好む生粋のスニーカーヘッズより、むしろファッションに敏感なスニーカー好きだった。かつて真っ白なAIR FORCE1は高級な自動車や大ぶりのジュエリーと同じように成功者の象徴であったのに対し、正反対のトリプルブラックは泥棒の靴などと揶揄された不遇の時代もあった。しかし今は、人種、性別、階級を超えた、深く親しまれるピープルズシューズである。陰陽道のようにこの2色が対比的に相関するのではなく、2つの大きな力が相乗効果によって、究極の一足となったのである。


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